断酒

妻の里帰りで独身時代に戻ってしまったようだ。昨日記憶をなくすほど酔って後輩に怒られて妻に泣かれてもうこんなことはやめにしたいと思っている。ここ1年は潰れるほど酔うことはなかったけど、またやってしまった。一杯飲めば判断力が鈍り二杯、三杯と進んでしまう。人に迷惑をかけたくない。もう大学生ではない。父になるのだ。このままでは30歳、40歳と歳を重ねるうちにアルコール依存症に突き進むに違いない。少なくとも向こう一年はアルコールを一滴も摂取しない。節酒ではなく、断酒が必要だ。
家ではもちろん酒は買わないし、飲み会ではノンアルコールビールを頼むことにする。親戚の集まりもノンアルコールビールにする。高校の友人や研修医時代の同期とは集まらないようにする。仮に集まることがあればノンアルだ。それよりもキャンプに行ったり別の楽しみを見つけよう。妻と子どもの笑顔のためなら安いものだ。

ある一日

朝、妻と同じ布団で目覚める。眠っている顔を見てなんてかわいいのかと思う。しかし、眠気に負けてもう少しダラダラとする。アラームの音で妻が起き出してどうやら朝ごはんを作り始めたようだ。妊婦にそんなことやらせるわけにはいかないと思う気持ちはあるが、朝の耐え難い眠気に負けて卑怯にもまだ寝ているふりをして朝ごはんができるのを待つ。そんな僕を知ってか知らずか作り続ける妻を寝室の向こうに感じ続けるのも耐え難くなり、いよいよ起き出して洗顔や着替やトイレを済ませる。ご飯を食べて他の準備もすっかりして仕事場に向かう。車で1時間。バイパスに乗り、いつもの渋滞。音楽はシャッフルで流れてるけど、自分で入れたかも覚えていない曲ばかりがかかる。僕が熱中している歌ではなく、他人の歌だと思う。職場について早速書類作業をこなして朝のミーティング。そしてコーヒーを飲みながら他愛のない会話をして午前の仕事を始める。ルーチンワークをこなしながら、緊急の仕事がいくつも自分の電話にかかる。他のメンバーに仕事を振り分けるのも面倒で自分で抱えそうになるがなんとか捌いていく。いつも申し訳ないですと慇懃に言われるが、それを慇懃に返す言葉を思いつくのも難しい。そんな余裕のない自分が嫌になる。帰るのはみんなが帰った3時間後。そんなに仕事が終わらないのは効率が悪いだけなのか分からない。自分の仕事量は他の人より明らかに多い気がする。でもそんなことを思う自分が嫌だ。忙しくて、疲れているのが自分だけだと思うなんて、なんて自分は呆れるほど幼稚なのか。夕飯にカップヌードルを啜りながらパソコンに文字を打ち付ける。誰のための仕事なのか。もはや分からない。正しいことややるべきことも何もかも分からない。それでも21時前には家に帰ってきて、といっても今日は仮の宿だけれど、その女アレックスを読んで興奮して娯楽に浸る。久しぶりにブログも書いた。そろそろ寝よう。明日のために。

ミーム

 僕らを突き動かすモノは何なのだろう。毎日繰り返される朝、まだ横になっていたいという本能に逆らって体を布団から引き剥がして、義務的に向かう職場。誰かがしなければいけないことを次々と処理をしていく。溜まった仕事が消化されていくことにゲーム的な快感もあるけど、それは決してゼロにはならなくて、新しい仕事が積まれていく。そして気づくと日が暮れていて、朝と比べて差し引きプラスの書類を尻目に帰路につくのだ。家に帰って体を休め、ココロを休めて明日の仕事に備えていく。
 そんな変わらない毎日が繰り返される。そして、月日は確実に進んでいく。顔には皺が増えていく。
 でも、たとえ僕らが老いても、社会の動的平衡は保たれ続ける。僕らは動的平衡を保つ部分の一つでしかない。生命にとっての蛋白で明日には別の蛋白にすり替わっている。変わらない世界、変わらない毎日。変わっていく僕ら、変わっていく命。
 所詮、一つの代替可能な部品にすぎない僕らは、それでも一つ一つ意思を持って動いていて、それぞれに人生があって、それぞれにとっては人生は世界そのものだ。僕らは死ねば意識は消えて世界は消滅する。だというのに今日も誰かの職場に向かう。
 僕らは何に突き動かされているんだろう。何を夢見て、ドコへ向かっているんだろう。立ち止まって考える余裕もなく、秒針は止まらず、カレンダーは捲られ続ける。わずかでも確実に動脈は線維化し、テロメアは短縮する。
 原動力。チカラ。エネルギー。それは、きっと神様が与えているんだろう。人類はずっと神様を夢に見てきた。無宗教の現代人であろうとも形は変えても普遍で不変なモノを信じるのは変わらないのだ。人智を超えた究極の何か、それはAIかもしれないし、カレーかもしれないし、統一理論かもしれないし、生命の原理かもしれない。それを現代人も求めているんだ。
 それでも人一人がそんな根源に近づくのは難しい。数千年の歴史の中で究極の何かを得られた人は一握りだろう。このどこまでも平凡な我々が、砂漠の中の砂の一粒が宇宙の夢を見るのは虚しい。
 生きるのに充足した我々は、ただそういう真の究極の存在に憧れて日々を暮らしていっている。僕らにできることは、自分が例え無意味に消え行くとしても、ミームを遺伝させた、この社会がいつか辿り着くことを祈ることしかできないのだろう。そして明日の朝も社会を継続させようと布団から体を引き剥がすのだ。

久しぶりのジョギング

ジョギングはいい。衰える一方の筋組織や末梢神経に血液を流し込むだけではない。情報にがんじがらめになっている日常から自分を強制的に引張り離すことができる。チャット、SNS、ニュース、音楽、動画、教科書はアパートに全部置いてきて、頭を空っぽにできる。

忙しさを言い訳に1か月ぶりの運動だ。少し走ると息が切れた。川沿いの整備されたジョギングコースも春にはずいぶん花見で賑わったけれど、梅雨前の夜ともなると人もまばらだ。目標にしていた折り返し地点のはるか手前でひき返すことにした。小雨が頬に降っていて、温かく濡れたアスファルトが鼻につく。僕はジャージについているフードを被り帰り道をゆっくり歩いた。こうして何も考えずにボーとするのも久しぶりだ。仕事場での人間関係、知識の乏しさからくる焦り、結婚のための準備、これからの人生、死や宇宙について。最近はいろんなことが頭の中を巡り、自分の周りの世界のスピードに追い付こうと走り続けていたつもりだった。しかし、実際は頭の中だけが走っていて体は立ち止まってあたふたとしていただけだった。

落ち着いて景色を見る。夜の灰色の雲。街灯の周りにコウモリが飛んでいる。桜並木には小さく赤黒い果実がなっている。耳に意識を向ければ、空高く強い風が吹く音、車の群れが走る音、頭の上で桜の葉が揺れる音。気づかなかっただけで世界は変わらずに回っている。

僕はサクランボをつまんで口に放り込んだ。ざらざらとした表面、苦くて酸っぱい薄い味。気づかなければ知らなかった。いくら社会生活が順方向性に進んでいるように見えたとしても世界は同じようにただ回っているだけで、僕らは刹那の今にしか生きられない。焦らずしっかりと今を過ごそう。

二年目

仕事を始めて一年と一か月が過ぎた。初めの3か月は毎日朝起きることにすら疑問を持っていたが、じきにそれもなくなった。半年で仕事それ自体にも慣れてきた(仕事ができないことに慣れてきた)。後輩もでき、いつまでもできないことに甘えていられる立場でもなくなってきた。そして、だんだんとそれぞれが独自の道を歩き出す時節になってきた。

17時ちょうどに同期が帰宅するハイポな職場だが、天邪鬼な僕は意味もなく残って働いている。そしてそのためワーカホリック認定をされたのか、今日は心配されて一日休みを貰った。

しかし、特にするべきことも分からないので、洗濯・皿洗い・ジョギングをして、溜まっていたアニメを消化した。プログラミングの勉強でもしてみようかとちまちまjavaのちゃっちい練習をしていた。本業の勉強のために教科書はいっぱい買うが、溜まっていくだけでほとんど通読はできていない。それよりも最近は自分がモノを知らないということに気が付いて、一般的な知識を得ようとたくさんのことに興味を持つようにしている。今まで興味があったのは、小説、映画、漫画、アニメ程度だったが、今は草木の名前や鳥の名前、日本史や車の名前、絵の描き方に市場経済、将棋についてもう少し知りたいと思っている。しかしそれは知らないといけないという義務感が初めに来ているのであって、面白いから知りたいわけではないため、ちょっと悲しいし勉強も進まない。

忙しさが増してくると人生について考えることも減ってくる。小学生と大学生のころに死についてよく考えてたけど、忙しかった中学や高校生のころはほとんど考えなかったもんなあ。あと40年は考えないのかもしれないが、それまでに死ぬかもしれないとも思う。自己がだんだんと薄れていって、自分の死の重要性も減ってくるんじゃないかなと思うけど。

通夜に行く

去年の年末は散々だった。上気道症状は乏しかったけど下痢と39度の熱が出た。健康な成人がそんなに熱が出てすぐ下がるってことない。年末のために抗原検査はできなかったが臨床的にインフルエンザだろう。それでもって毎年恒例の高校の友人との飲み会に参加できず、さらにはその飲み会でこっそりやっていたこのブログをばらされ、本当に散々な年越しだった。やむなく公開制限をしたが、よく遡ってみればこのブログで恥ずかしいようなことは書いてないし、また改めて公開しようということに決めたのだ。

そして、こうしてブログをまた書いているのにはきっかけがある。

昨日、友人が死んだと連絡を受けたのだ。

職場でスマホを開き、文面を読んだものの内容が把握できず何度も読み返した。彼とは年末(インフルエンザに罹る前)に会って飲んだばかりだ。どう頭を使っても結びつかない。今年に入って職業的なこともあり、様々な死を見てきた。たしかに死は老若男女にかかわらず平等にひどいものだというが、癌や呼吸不全の末期とかの悲しいけれど家族に見守られて受け入れられていく老人の死や、失礼だけど社会から逸脱している風貌の若者の事故死、エトセトラ、と納得ではないけれどそういうものなのだろうと思われるような死しか見てこなかった。彼と死は結びつかない。

僕が悲しみ、思考停止に陥っていると共通の友人たちから今するべきことの連絡が続けざまにくる。僕は死因もまだ理解していない。僕はそうか、ぼんやりしてはいけないのだと思う一方、あいつが死んだのに、個人的な気持ちの切り替えもできてないのにお前らはそんな風にすぐに社会的によく動けるな、と思ってしまう。しかし、すぐに思い直す。むしろこうやって主体的に動いている彼らの方が彼との親交も深かったはずで、もちろん悲しみは自分よりも深いはずだと思いなおす(当然家族が最も親交が深く、こういった場合は最も社会的に動かなければいけない)。そんな風に悲しみを享受するのはむしろ関係が浅かった僕らなんだ。最も悲しい人々は悲しみにつかる暇はないのだ。そう思うと先ほど思ったことが恥ずかしくなった。

とはいえ、当然だと思っていたことが地面から崩れ去るような出来事であった。なんの病気も持たないし、経歴としても僕と同じような人間だ。つまり、大きな目で見れば近似的に僕が死んだのと変わりない。人生まだこれからだった。ようやく初めの一歩を踏み出した年だった。これから仕事をこなし後輩ができ、結婚し子供を作り育て、孫ができ、という話が進んでいくはずだった。しかし打ち切られてしまった。彼にとっては今の時点で考え得る人生という概念はすっかり偽物だった。僕らは明日死ぬかどうかも分からない。そういう風に生きなければいけない。

シンゴジラ

 仕事が始まって4ヶ月。ようやく仕事に慣れてきました。いや、仕事自体に慣れたわけでは決してなくて、仕事をする、仕事に行くことに慣れてきただけです。ようやく。6年間は家で寝る、遊ぶ、酒を飲むという日常がベースでしたので新年度からはなかなかに参ってしまう日々でしたが、4か月かかって朝に起きて他人と話して何かをこなし夜に帰ってくるという日常に慣れました。何をやっても初めて続きで何をやっても自信がないような状態がずっと続いていますがどんな仕事にも付き物ですのでなんとか折り合いをつけながらやっていきます。

 さてシンゴジラ見てきました。映画ってなかなか見れませんが、

 

ああもう無理文章を書くのも面倒くさい言いたいこともあるんだけれどもうだめ無理だ