通夜に行く

去年の年末は散々だった。上気道症状は乏しかったけど下痢と39度の熱が出た。健康な成人がそんなに熱が出てすぐ下がるってことない。年末のために抗原検査はできなかったが臨床的にインフルエンザだろう。それでもって毎年恒例の高校の友人との飲み会に参加できず、さらにはその飲み会でこっそりやっていたこのブログをばらされ、本当に散々な年越しだった。やむなく公開制限をしたが、よく遡ってみればこのブログで恥ずかしいようなことは書いてないし、また改めて公開しようということに決めたのだ。

そして、こうしてブログをまた書いているのにはきっかけがある。

昨日、友人が死んだと連絡を受けたのだ。

職場でスマホを開き、文面を読んだものの内容が把握できず何度も読み返した。彼とは年末(インフルエンザに罹る前)に会って飲んだばかりだ。どう頭を使っても結びつかない。今年に入って職業的なこともあり、様々な死を見てきた。たしかに死は老若男女にかかわらず平等にひどいものだというが、癌や呼吸不全の末期とかの悲しいけれど家族に見守られて受け入れられていく老人の死や、失礼だけど社会から逸脱している風貌の若者の事故死、エトセトラ、と納得ではないけれどそういうものなのだろうと思われるような死しか見てこなかった。彼と死は結びつかない。

僕が悲しみ、思考停止に陥っていると共通の友人たちから今するべきことの連絡が続けざまにくる。僕は死因もまだ理解していない。僕はそうか、ぼんやりしてはいけないのだと思う一方、あいつが死んだのに、個人的な気持ちの切り替えもできてないのにお前らはそんな風にすぐに社会的によく動けるな、と思ってしまう。しかし、すぐに思い直す。むしろこうやって主体的に動いている彼らの方が彼との親交も深かったはずで、もちろん悲しみは自分よりも深いはずだと思いなおす(当然家族が最も親交が深く、こういった場合は最も社会的に動かなければいけない)。そんな風に悲しみを享受するのはむしろ関係が浅かった僕らなんだ。最も悲しい人々は悲しみにつかる暇はないのだ。そう思うと先ほど思ったことが恥ずかしくなった。

とはいえ、当然だと思っていたことが地面から崩れ去るような出来事であった。なんの病気も持たないし、経歴としても僕と同じような人間だ。つまり、大きな目で見れば近似的に僕が死んだのと変わりない。人生まだこれからだった。ようやく初めの一歩を踏み出した年だった。これから仕事をこなし後輩ができ、結婚し子供を作り育て、孫ができ、という話が進んでいくはずだった。しかし打ち切られてしまった。彼にとっては今の時点で考え得る人生という概念はすっかり偽物だった。僕らは明日死ぬかどうかも分からない。そういう風に生きなければいけない。