人の命

大学院生やらしてもらって、勿論研究のためにほとんどの時間使ってるけど、少なくとも自分の時間はある。というか全く完全に時間に余裕がなければ思索に耽ったり、他分野の余計なものを見たりとかできないから、激務も激務で全く余裕ないような感じではない。カテの道に進んだ先輩は忙しすぎて妻と仲が悪くて、数年関係をもってないといっていた。夜中に家に帰って、積んである食器を洗うし、休みの日に子どものためにご飯も作るけど、子どもは作ったご飯を食わないそうだ。他人の家のことに口出すのなんか、絶対良くない無責任なことなのに、子どもはお父さんの料理を食べたほうがいいのかお母さんの顔をみて迷ってるんじゃないですか?仕事に逃げちゃだめですよ、なんて軽はずみに言ってしまった。自分の意図としては、家庭は人間にとって最も重要なものだと思ってて、だって仕事は代わりがいるけど家庭では代わりはいないわけだし、先輩は家事をしてるといってるけどそれは本当に思いやりからしてる家事じゃないんじゃないんだろうか。家事は思いやりをベースにしてやるべきで、パートナーに対する攻撃の手段にしてはならない。子どものためには、パートナーと仲良くすることがまずは一番だと思う。でも、あまりにも忙しすぎるときにはそんなふうに考える余裕がなくなっちゃう。患者を人質に取られて、自己犠牲を当然とする価値観を植え付けられたら、良心の名のもとに家庭を崩壊させても超専門的な労働を搾取されることになる。医療崩壊を防ぐために家庭を崩壊させなきゃいけないんなら、そんな医療崩壊したほうがいいと思うし、絶対後続はついていかないし、継続できない。命の重さは分かるが、終わりがない。自分の子どもが病気になったら何が何でも助けてほしいと思ってしまうが、そういうことを医師個人の責任に直結させるのは間違ってて、システムとして責任を負うべきだと思う。地方医療を守るためにジリ貧になるなら医療資源を集約化すべきだと思うがこれは視野が狭いのだろうか。