研究

大学院に入ってはじめて勉強というものをしていると感じる。

受験勉強は暗記科目がことさら苦手だったわけじゃないが好きじゃなかった。物理や数学では、頭を回転させる喜びがあった。けれども所詮は問題があって答えのある勉強だった。

学部時代の勉強は、さらに悪く、ただただ暗記をするだけでそこに思考はなく喜びはもちろん全くなかった。酒を飲んで暮らし、テストで落ちないような勉強をしていた。

働きはじめてようやく医学というものの面白さを感じ始めた。そこには誰も正解を知らない問題があり、自分でその答えを見つけなければならない。診断をして、最適な治療を見つけなければならない。正解を確信するときもあれば、分からないまま、最善手を繰り返し続けるしかないときもある。ともかく、そういった手続き的な知識によって、概念的な理解が深まるのを感じた。しかし、その方法は、あくまで論文や教科書を調べることであって、全ては過去の誰かが見つけたことを調べるだけだ。

大学院に入って誰も知らない問題を自分で見つけることができること、そしてそれを誰も知らない方法で解くことができることを知った。何をどこまで勉強してもいいけどどこにヒントがあるかは分からない。必要な知識もどこまでも広い。これまでやっていた勉強と全く次元が異なっていて、面白い、しかし怖い。自分の能力がテストの点数のように出るわけじゃない。必要なのは、重要で面白いオリジナリティあるアイデアを出す夢想的な能力、とともにそれを現実に淡々と着々と行う実行能力、英語や論理をつくる言語力、失敗を意に介さない楽天的な精神力、が必要だ。しかもそれでいて目指すのはお金じゃない(お金がほしいなら研究じゃなくて開業すればいい)、ただ好奇心を満たすため、というキチガイだ。人によっては名誉かもしれない。でも名誉のために生きるなんてことは、アホらしいということは博士号を取るような賢い人は知っている。だから多少能力が他の人と劣っていても点数で優劣がつくわけじゃないんだから、優劣なんて意味ないのだし、要するにどんな形でもアカポスを得て自分の面白いと思う研究が続けられれれば勝ちなんだから。そうじゃなくなったら普通に働いてるのと同じになっちゃうんだから。だからアイデアを出さないと意味がない。

 

シュレディンガーの生命とは何か

ワトソンの二重らせん

利根川進の精神と物質

キャリー・マリスのキャリー博士のうんぬん

を読んで、分子生物学の歴史をなぞった。

思ったことは、分子生物学で、パラダイムを破壊するような研究をした人は、何でも知っているような博識家では決してないんだということだ。シュレディンガーはあくまで量子力学に重要な貢献をしたし、遺伝子がDNAだと分かるまえから遺伝子の性質についての洞察をして分子生物学の黎明となったけど、破壊するようなものではない。ワトソンとクリックは生化学の初歩を知らなくて、偉い先生から何も知らない若者と思われていたがワトソンは遺伝学的なところから、クリックは物理学をベースとした構造化学から分子生物学に最も重要な発見をした。利根川進も免疫学は素人だったと言ってるが、分子生物学の視点からDNAが再構成されることやエクソンイントロンを発見した。キャリー・マリスは遊び人だが、化学知識と、柔軟な考えからPCRを考えついた。

特に分子生物学の場合にはアイデア一つで全てを突破することが可能かもしれない。いずれも、広い知識よりも自分の研究のことだけを突き詰めて考えていくことがより重要だと思う。