フェルマーの最終定理

卒業試験の合間にサイモン・シンフェルマーの最終定理を読んだ。大学数学以降の知識が全くなくてもなんか理解した気になれる良書だった。焦点は数学の歴史、発展、数学者たちの熱い人生にあった。ちょうど理系に興味はありますよ、専門は違いますけどという理系かぶれの僕みたいな人が読むのに適した本だった。

何を考えても何を読んでも結局自分に帰ってきてしまう。そんな季節が終わろうとしている。自我同一性に悩むのはせいぜい25歳くらいの青年期までで僕はもうすぐ24になる。それを過ぎれば社会や家庭の中で自分がどう振舞うかが悩みの中心になるという。フェルマーの最終定理に立ち向かっていった数学者たちは彼ら自身の人生についてどう考えていたのか夢想する。ただ純粋に自分がその問題を解きたいから、そのために生きていたのか。それとも誰にも解けない問題を解いてみたかったのか。人生を考えるうえでそれぞれ目標があると思うが、主観的に自分を評価するのか、客観的に評価されたいのか二つのベクトルがあると思う。フェルマーは自分の楽しみのためだけに数学を解き、死んでから最終定理が発見されたという。そういうような内向的、独善的ともいえる天才はもしかしたらこの地球の歴史の上に名前は刻まれていなくともどこかで他にもいたのかもしれない。

もう半年と少しすれば社会に出る。社会で活躍すること、つまり評価されることが生きがいになるのは求めていない。少なくとも理性的にはそう考える。しかし、全く評価されずに消えていくのも寂しさがあるかもしれない。昔ならそういった問題に結論を出そうとしていたかもしれないが、少し成長した僕はグレーの立ち位置でもって人生を考えられるようになった。どちらもそれぞれよいことだと思う。コツコツと毎日を過ごすうちに行動が運命を決定づけるだろう。