体育会系

体育会系の部活に入ってたんだけど(今は引退したけど)根っこでは全くなりきれなかった。部活って強制的にやらされるものでもなければ、することが偉いわけでもないってずっと感じてたからだ。部活で努力することが美徳だという考え方に馴染みきれなかった。もちろんその考え方は部活の中では真実だ。努力をすることで自分やチームが強くなることは美徳であり、勝利など部活の目標に達するために必要だからだ。でも社会からすれば部活は自分が楽しむためのものでしかない。楽しむというのは仲間とわいわいやることだけでなく、努力によって自分やチームが強くなることも含む。だから僕は勝利を目指して努力をしてはいたが、それは強制的なものではなく自発的なものであるべきだ、自分が楽しむためにやるべきだと感じていた。楽しむために努力をするのではなく、努力をするために部活をやるなんて、手段と目的をはき違えてしまっている。

また、部活が忙しくて勉強ができないなんてのは社会に対しては言い訳にはならない。別の問題だからだ。勉強をしないことが悪いとか忙しくてもやるべきだとか言っているわけではなくて、それは個人の問題であり部活とは全く関係ない。勉強をする自由、しない自由、部活をする自由、しない自由は独立に存在している。

ただ、なぜ部活をやっているとこのような考え方に歪みが出るかといえば、体育会系の部活というのは時間がかかるからだ。一週間の大部分をそこに使うことになる。それによって社会と部活の区別がつかなくなり部活の美徳が社会の価値観とずれていることに気づかなくなってしまう。

僕はそんな風に8年間も体育会系をやってきた。でも、いくらごちゃごちゃ考えてても、部活も勉強も全部努力するぜ、それが自分を高めるぜ、というTHE体育会系マンにはどうやってもどの分野でも敵わないんだよね。