文理選択

人ってのは何かに自分を分類するのが好きだよな。

例えば文系と理系。数学や物理化学が苦手だから文系であるわけではないし(数学が得意な文系もいるし逆もいる)、理系に人の心が分からないわけではない。自称文系の人とか自称理系の人というのは論理的でなくていい、人間的でなくていいという予防線みたいなものを張っているんじゃないか。つまり、文系だろうが理系だろうが論理的かつ社会的であるべきだと思う。

例えば自称文系の人は意見ありきで討論を進めることが多いように見える。正しい討論は相手の意見を受けて自分の意見をさらに昇華させるべきであるのだが、文系の人は自分の意見が通るか否かしかないのではないか。いや、これは文系に対する偏見だ。これこそ他人を勝手に分類しているだけになってしまう。ここでは文系ではなく自分の意見を曲げない人について考えます。ともかく、そういう人は自分の意見がすべてなのだ。相手が自分の意見を聞いて考えを改めると勝ち誇ったようになる。相手は論理的に意見を昇華させたのにも関わらず自分の意見が勝ったと考えるんだ。さらに自分の意見が論理的に否定されても感情論を出して譲らない。

きもい。

討論で感情論を出してくる奴には気を付けるべきだ。話し合いがまとまらなくなる。人の気持ちを考えろというが人間は一人ひとり感情が違う。感情論が始まると自然と声の大きい奴の感情だけが優先されるようになるんだ。