また生きる意味について考えてる。
その前に僕の死因を確認しよう。
僕は日本人の20-30歳男性に該当するので厚労省によれば自殺、事故、がんでだいたい死ぬことになるらしい。
自殺は今のところ予定がないので事故かがんで死ぬだろう。
全ての年齢性別合わせると事故では一年に10万人あたり30人くらいが死んでいる。
毎日日本人は100人が事故で死んでる。
突然にいきなり死ぬ。
誰も今日死ぬなんて思ってないのに突然死んで人生の幕が下りる。
もちろん僕も今日死ぬかもしれないしあなたかもしれない。あなたの家族かもしれない。
さて死ねば神経活動は停止して徐々に細胞たちが死んでいくのだが、 死後の世界があるとすればそれはいつ行けるのだろうか 。
心臓が止まったとき?脳が止まったとき?全ての細胞が活動をやめたとき?
僕らは僕らを維持できなくなったときだんだんと止まっていくだけじゃないのか。
死後の世界があるなら生と死ははっきりと分かれていなければいけない。
でも死は曖昧で死の定義はWHOによって決めなきゃならないほどだ。
なら、ないだろ。死後の世界なんて。
死んだあとどうなるのか。
僕は神経活動がなくなるから意識が全く消えてしまい、無すらも感じえなくなり未来永劫二度と世界も自分も認識できなくなって しまうと思う。
今まで抱いてきた夢も愛した大切な人も何も認識できなくなり世界から消滅してしまう。
そんなどうしようもない「終わり」が存在するのに人生の目的なんてものを設定して努力する意味はあるのだろうか。
地球の年月を考えたときや人間の人口を考えたときに僕らの命に価値があると言えるのだろうか。
死は怖い。そして生を全く薄めてしまうほどに絶対的だ。
でも死は個人的なものである。
そして動物が生きる上で起こるイベントの一つでしかない。
それが順番として最後にあるだけ。
死を特別視するならば今パソコンをカタカタ打ってる瞬間も僕がそう思えさえすれば死に匹敵する特別な時間となる。
死だけを過剰に考えるんじゃなくてどの瞬間もどの今も同じ重さで考えるべきだ。
今年も終わるが今年とか来年とか関係なく僕は自分で満足できる今を生きていたい。