西尾維新

「私は西尾維新の生粋のフリークでもなければ盲目的な信仰者でもないが、彼の創る物語を愛好し閉口するほど購読している読者の一人ではある。」(一部改変)

みたいな文章から始まる西尾維新信者のブログを読んだ。読んだといっても、途中までしか寒さで読み進められなかったけども。中学生か高校生くらいの読者を本気で楽しませてくれる力が西尾維新にはあるのだろう。

ともかく、人の書く文章ってやっぱり読んだ本に影響されてしまう。気に入った文章は特に。そうしていろいろな作家の文を読んで取捨選択しているうちに自分の文章ってのができてくる(はずだ)。自分も前はもっと村上春樹の文章くさくなってしまっていた。恥ずかしい。

なんで恥ずかしいと思うんだろう。自分が読んだ作家の影響を認めたくないからだろうか。つまり、自己同一性の確立のためだ。自分の文章が似てて意見まで似てたら反発しないと自分が保てない。だから今の自分や冒頭のブロガーみたいに完全にじゃないけど一部は評価してますよ、みたいな意見を書くのだろうな。書きながらも文体はその作家の影響を受けまくっているんだけど。

自分の文章というものを獲得したいものだ。